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ヴィンテージ物件の魅力

「思い描く未来を具現化していくためのHUBとして盛り上げていけるような場所を作っていきたい」弦本卓也

「思い描く未来を具現化していくためのHUBとして盛り上げていけるような場所を作っていきたい」
弦本卓也(つるもとたくや)氏

―プロフィールを拝見していると、さまざまな事業を展開されていらっしゃいます。大学卒業後、リクルートで不動産メディア『SUUMO』に携われたことがベースになったようですね。

今でこそ、不動産に関する仕事も増えましたが、もともと僕は大学でIT系の勉強をしていたこともあって、リクルートにはIT系で採用されたんです。そこで『SUUMO』のメディア作りに7年、エンジニア組織の組織づくりに5年、携わりました。その過程において、せっかく『SUUMO』に配属されたからと、自分でも家を買ってみようと思い、新卒2年目で新宿に3階建て、4LDKの新築一戸建てを購入したんです。自分で体験することで、筋のいい企画を考えられるようになるんじゃないかと思いました。そしたら、翌年には売却のプロジェクトに携わることになったので、じゃあ、次は売却だ、と(笑)。そんなことをしていたら、ちょうど社会人4年目、27歳の時に、家を買う際にお世話になった営業の方に「弦本さん、神保町にビルを買いませんか?」と声をかけてもらったんです。というのも、僕は新宿に一戸建てを購入した時から、買って終わりではなく、誰かの役に立つような活用をしたいと思っていたんです。例えば『高専ベンチャー』と名付けた事業では、簡単にいうと、都内のベンチャー企業と地方の優秀な高等専門学校生をマッチングできる機会を作り、採用に繋げていました。それもあって、営業さんも「家の活用方法もユニークだし、ビルを買ったら面白いかも」と声を掛けてくださったようです。

―すぐに買おう! と思われたのですか? 

流石に最初は「ビルなんて、買うわけがないじゃないですか!」と言っていたんですが、なんとなく興味を惹かれたのですぐに物件を見に行ってみることにしたんです。そしたら、面白そうだったので買ってみよう、と。そもそも見に行こうと思った時点で少し気持ちが動いていたのかも知れません(笑)。

―27歳で、思い切った決断ですね! 

結果的に、2015年3月に築38年のビルを7400万円で購入したんですけど、当時は新築のタワーマンションを一部屋買っても同じくらいの金額でしたから。それを貸したとしても25~30万円程度の家賃収入にしかならないけど、ビルなら、毎月130~150万円ほどの家賃収入が見込めるのも魅力でした。


最初に購入した戸建て

弦本ビル(つるもとビル)

―それが、のちにコワーキングスペース、シェアオフィス、シェアハウス、飲食店が入居した複合ビル『弦本ビル』になった、と。

そうです。僕が購入する前も旧オーナーさんの名前がついたビルで1階を飲食店、2階を麻雀屋さん、3階を店員さんの休憩場所にして、4階と最上階の5階にオーナーさんが住まれていました。そもそも神保町は、複合ビルが意外と多いエリアで…僕も最初に見学に行った時から『食べる場所、住む場所、働く場所』がコンパクトに1つにまとまっているところに面白さを感じていました。なので『弦本ビル』としてスタートを切るにあたっても、基本はその形態のまま、かつ、自分が20代で購入する機会に恵まれたので、20代の秘密基地みたいになればいいなと思っていました。

―築38年の物件だったということですが、使い始めるにあたって大きな修繕等はされましたか?

いえ、基本的に大きくは手を加えていません。商売は『安く買って高く売る』『安く借りて高く貸す』が基本ですが、僕の場合、めちゃめちゃ安く買えましたから。だって、延べ床面積が375平米ほどある5階建てで、13部屋あるのに、7400万円ですからね。なので、僕も少し安く貸そう、と思ったんです。先ほども話した通り、ターゲット層を20代に描いていたので、勢いのある若者たちが『自分のやりたいことを見つけて実践する場所』になればいいなと思っていました。ただし、安く貸す代わりにリフォームやリノベーションはしません、と。それでもオープンから1週間後には満室になったので、あとは用途に応じて、入居者の皆さんに好きにDIYで改装してもらいました。結果的にそれも後々、ビルや部屋への愛着につながっていった気がします。もっとも、大きな不具合こそ出なかったですが、雨漏りをしたこともあったし、天井を抜いたり、床や壁を剥がしたりしていたことで2階で水を撒いたら、1階のテナントに漏れちゃった、というようなアクシデントもありました。それはその都度、対応をしました。


弦本ビルの構想プランイメージ

弦本ビル

 ―購入からずっと満室経営が続いていた中で、23年3月に『弦本ビル』を売却されたのはなぜでしょう。

まず、僕自身が22年末にリクルートを卒業したんです。リクルートは当時、35歳で辞めると退職金が上乗せされたため、そのタイミングで独立される方が多かったのですが、僕も入社した時から、35歳までは副業などもしながらガッツリ働いて、そこを節目にしようと考えていました。実際、35歳の時点で生涯年収くらいは稼ぐことができたので、36歳以降は結婚や子育てなど、プライベートを充実させて過ごそうという青写真もありました。なので、会社員生活に区切りをつけるのに合わせて、弦本ビルも売却したんです。神保町の近くで創業された不動産屋さんが、僕が購入した金額より高く買ってくれるというオファーをいただいていたのもありました。これは現在、構想中の『新・弦本ビル』を建てる資金に充てようと思っています。

―すでに新たな計画があるんですね! 明かせる範囲で『新・弦本ビル』の構想を教えてください。

以前の『弦本ビル』は『食べる、住む、働く』をキーにしてきましたが、『新・弦本ビル』はそこに『学ぶ、遊ぶ、休む』も一体にしたいと考えています。というのも、近年は、働き方が変わって、大企業でずっと働くというより、プロジェクト単位で仕事をする時代になりつつありますから。それを踏まえて、スペシャリストたちが集まる場所になればいいな、と。もう少し細かくお話しすると、ビルの顔になる1階はシェアレストランにして、日替わりでイベントを開催したり、仲間を集めるための『接点』を作る場所にしたいと思っています。2階はイベントスペースやコワーキングスペース、ライブラリー、ギャラリーのイメージ。1階でビルのことを知ってくださった人が自分のやりたいことを見つけていく、席ごとに借りるのがメインのフロアにしようと思っています。3階と4階は、弁護士や税理士、広報やPR、営業の方たちが1ブースずつ入っていて、2階の人たちが事業を実現させるために相談できる場所で事業を形にするための仲間がいるフロアをイメージしています。そして5階は、どんどん事業を形にしながら下の階から上がってきた人たちが、個室からはじまり、事業の成長に合わせて2人部屋、4人部屋などと隣の部屋に引っ越して仕事ができるワーキングスペースを作り、6階以上は住居エリアで考えています。つまり、1階から上階に上がっていくにつれて事業ややりたいことの可能性がどんどん膨らんでいくような流れができたらいいなと思っています。

弦本卓也氏

―1つのビルの中で、人や企業が順に成長していく過程が見えるのも面白いですね。

以前の『弦本ビル』にはオフィスが1部屋しかなかったため、その事業が成長して出ていってしまうと、ノウハウが残りづらかったんです。そこに課題を感じていたこともあり『新・弦本ビル』では、成長に合わせて、ビルの中で部屋を移動していってもらうことで『このフロアにステップアップできたのは、これをしてきたからだ』というような姿が一歩後ろをいく後輩たちに見える形が取れればいいなと思いました。もっとも、これは必ずしも一つのビルじゃないとダメだとは思っていません。たとえば、1つの地域に食べる場所、泊まれる場所、仕事ができる場所の拠点が、いくつか分散されていてもいい。いずれにしても自己資金だけでは厳しいので、地域を盛り上げたいと思っている特定のエリアに特化したデベロッパーさんと組むなど、やり方は変えなくちゃいけないな、と。最近は、そんなことばかり考えています(笑)。

―『新・弦本ビル』はいつ、どこに建てようという目処は立っているのですか? 


新・弦本ビルの構想プランイメージ
1棟目が千代田区の神保町エリアだったことから、夢はでっかく千代田区に建てよう! と思い、まずはさっき話した構想を絵にすることから始めてみたんです。その時点では、新築でもヴィンテージ物件も特にこだわりはありませんでした。ただ、絵にしてみると、理想を形にできそうなヴィンテージ物件はない! と。なので、まずは土地探しからだ、と色々と調べてみたんですが、千代田区にはそもそもこれを建てられそうな土地がない! と(笑)。仮に見つかったとしても千代田区に新築を建てようと思ったら60~100億円くらいはかかるらしく、資金も全然足りないですしね。なので、今は不動産ファンドを作るとか、大手デベロッパーさんと一緒に組むとか、欲を出さずにもう一度小さな形で考えてみるなど、いろんな選択肢からできそうなことを模索している最中です。

―不動産を扱う面白さや楽しさをどんなところに感じていらっしゃいますか?

正直に言って、僕は建物にはそこまでこだわっていないんです。実際、『弦本ビル』を運営していた時も、建物というより、そこに生まれたコミュニティや集う人、コンテンツといったソフト面が建物に価値をつけてくれたと感じていました。実際、『弦本ビル』は1階を飲食店、2階をイベントスペース、3階をオフィス、4~5階をシェアハウスにしていましたが、最初の3年間で1万人を超える方たちが出入りしてくれて、その中から年商1億円を超えるようなプロジェクトがいくつも誕生しました。起業したばかりの頃は誰しも、税金の支払いとか、お金の借り方など、わからないことがたくさん出てきて当然ですが、利用者同士にお互いの起業を応援しするような結びつきが生まれたことで、支え合う姿もたくさんみられました。これは、2階のワークスペースは24時間フルオープンにし、入居者の方がリビングのように使える場所にしていたことも大きかったと思います。そこで夜な夜な仕事をしている人がいたり、悩みを相談したりと、お互いが頑張っている姿がちゃんと見えていたことで、心から応援し合い、支え合うという繋がりが生まれた。その姿は、僕が考えるビル経営の理想系でもありました。つまり、僕自身にとってのビル経営の面白さは「いくらで買って、いくらで売りました」ではなく、解決したい課題や理想とする未来を描く若い起業家たちが想いを共有し、夢を実現するための場所としての役割を果たすこと。なので、どちらかというとコミュニティ、コンテンツを育てている感覚に近いかも知れません。個人としての『一人ひとりの可能性をもっと世の中に!』という理念も、その思いからです。建物の価値は年月の経過で下がってしまっても、住んでいる人やソフト面が価値になる仕組みを作れれば、結果的に建物全体の価値も上げられますしね。そう思えばこそ、『新・弦本ビル』でもコミュニティや人の結びつきは大事にしていきたいと思っています。実際、今も、まだ建物はないのですが、その前段階として、オンラインでの『バーチャル弦本ビル』を実践中で、すでにコミュニティも出来つつあります。

―どういうことですか? 

『弦本ビル』から『新・弦本ビル』に引っ越している最中というイメージで、僕は今の時間を「壮大な引越し期間」と位置付けているんです。その過程において、Slack上にバーチャルの『新・弦本ビル』を建てて101号室とか202号室というように部屋を作り、仮想的に入居や出入りをする方たちとコミュニケーションをしたり、キャリアを応援できるようなソフト面の仕組みを作っています。それによって、ビルが実際に建った時には入居者募集をすることなく、すでにコンテンツやコミュニティが出来上がっている状態でスタートできます。収支の見立てが立つことで銀行からの融資も受けやすくなるだろうという狙いもあります。

―今後、こういうことをやりたいといった野望はありますか。

先ほどもお話しした通り、僕の理念は「一人ひとりの可能性をもっと世の中に!」ということが基本です。実際、これまでいろんな仕事に携わってきましたが、結局、僕は人の可能性に気づいたり、応援している時に一番のやりがいを感じるし、楽しくもある。だからこそ、これからも、やりたいことのある人が、生まれた場所や環境に関係なく、体一つで課題を解決したり、思い描く未来を持ってきてくれたら、一緒にそれを具現化するHUBとして盛り上げていけるような、場所を作っていきたい。それを次世代に繋いでいければいいなと思っています。

また、2025年4月から、東京駅のすぐ近くでフラペン(THE FLYING PENGUINS)という日替わり店員制のバーの運営を始めました。こちらは「挑戦を応援し合う」ことをコンセプトに、大企業の新規事業担当者や、スタートアップの経営者、社会起業家たちが集まるような場所です。

まさに「新・弦本ビル」でイメージしている、1階で最初の接点となる飲食店のようなイメージです。フラペンを中心に、周辺のYNKエリア(八重洲・日本橋・京橋エリアの略)を盛り上げていきたいと思っています。

https://theflyingpenguins.jp

インタビュー・文/高村美砂(フリーランスライター)