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ヴィンテージ物件の魅力
「街の『顔』を意識して、建築物に携わる。」一級建築士 山﨑裕史
「街の『顔』を意識して、建築物に携わる。」
一級建築士 山﨑裕史氏
―最初に少しキャリアについて伺います。大学を卒業後は、すぐにロンドンに渡られました。海外で仕事をしようと思ったきっかけを教えてください。
大学院生の2年目に入った頃から周りが就職活動を始めた中で、自分はどういう道に進めばいいのかを考えるようになりました。その中で『海外』での仕事を思い描くようになったのは、実はそこまで深い考えがあったわけではなく…(苦笑)。当時、アルバイトでお手伝いしていた建築家の方から「これからは海外だぞ」と言われたことをきっかけに、「人と違う経験をしてみたい」という軽い気持ちで日本を飛び出しました。
―行き先がロンドンだったことには理由がありますか?
「英語なら、フランス語やイタリア語よりはどうにかなるかも」という安易な理由です(笑)。そこで、ロンドンにわたり、建築家のジョン・ポーソンさんの事務所を訪問して「働きたいです」とお願いしたんです。そしたら、なぜかいいよ、と受け入れてくださって、2年ほど仕事をしました。ポーソンさんは建築家になる前は日本の大学で英語の先生をされていたことがあったんです。日本の文化に強い関心を持たれていたことや、倉俣史朗さんをはじめとする著名な日本のインテリアデザイナーや建築家の方たちと交流があったことも、日本からやってきた若者を快く受け入れてくださった理由かも知れません。また日本とは違い、ロンドンの建築学校で学ぶ学生たちは、3年間学校で学んだ後、2年間くらいインターンとして建築事務所で仕事をし、その後また大学に戻って卒業するのが通例だったんです。実際、私がポーソンさんの事務所に入った時も、インターンで働いている学生さんが数人いました。そうした仕組みが当たり前にある国だったことも助けになった気がしています。
一級建築士 山﨑裕史氏
―ポーソンさんはどんな建築を扱われていたのでしょうか。
当時は住宅や商業施設が多かったです。アメリカのファッションデザイナーであるカルバン・クライン氏が現役だった時代には、その店舗デザインなども担当されていました。ニューヨークのフラッグシップをはじめ、かつて青山にあったショップもポーソンさんの設計でした。当時のロンドンではなかなか新築が建つことがなかったため、若手建築家の多くは改装をメインの仕事にしていることが多かったように思います。
―当時、仕事をされていた中で印象に残っていることを教えてください。
ポーソンさんは少し特殊な建築家です。『ミニマム』を謳い文句に、人が生活する上での基本的な行為にフォーカスして、その行為に必要な建築的要素だけを残すような空間づくりを指向してます。とてもミニマルな表現の反面、素材の質感をとても大事にしていました。キッチンのコンロや、水栓、家具の丁番ですら設計し、特注するほどの徹底的なこだわりでしたね。細部から全体に渡って一貫した思想のもとに空間を作り上げていくところは、とても刺激を受けました。
―帰国後は、少し時間を置いて2001年にヤマサキアトリエを設立されました。設立までの期間はどうされていたのですか?
ちょっと、フラフラしていました(笑)。正直、あまりにも海外で受けた刺激が強すぎて、この先自分がどうしていけばいいのかわからなくなってしまったという感じでした。ただその期間に一級建築士の資格は取得できたので、まずは事務所を作ってみよう、と。特に仕事が決まっていたわけではなかったので「今後はどうやって仕事を請け負えるようになるんだろう?」的な不安はありましたが、結果的になんとか今に至ります。
―現在は事務所のあるイマケンビルや千葉の文化堂ビルといったリノベーション物件をはじめ、新築住宅の設計もされるなど、幅広くお仕事を展開されています。
そうですね。僕自身は新旧どちらの物件だけをやりたいということはないので、ニーズに応じて、どちらにも携わっています。
―イマケンビルにはどんな経緯で携わられることになったのでしょうか。

イマケンビル ©繁田諭
―建て替え案とは別に、リノベーション案をご提案されたのはなぜですか?
このビルを初めて見たときに、直感的に「すごくいい佇まいだな」と感じたのと、築年数の割にはそこまで傷んでいないし構造的にもしっかりしていたので、このまま使えるんじゃないかと思ったからです。また、この周辺はもともと倉庫や町工場が多い準工業地域で、都市計画的にも容積率が結構、大きく取られているエリアです。それもあってそれぞれの工場が撤退したあとは、新築マンションばかりが建ち並ぶようになっていました。その光景が僕としては少し寂しく感じたというか。1階が駐車場だったり、小綺麗なエントランスだったり、そういったマンションが立ち並ぶ中でどことなく街の『顔』が失われてしまっているように感じました。であればこそ、余計にこのビルの佇まいを大事にしたいと思ったんです。1階を『顔』が見える店舗にするなどしながら、地域らしさを持続できればいいなと思い描いていました。そんな話を、打ち合わせの際にお伝えしているうちに、オーナーさんの気持ちも少しずつ「リノベーションもいいかもね」みたいに傾いていったというか。僕の考えに共感していただいたことや、種々の結果、共同住宅への用途変更や耐震性の確保が可能で、銀行からの融資の目処も立ったことから、初期投資が小さいリノベーションによる再生を進めることになりました。
―先ほど「直感的にすごくいい佇まいだと思った」という言葉がありました。それを踏まえて継承するものと新しくするものの選択はどのように決めていかれたのでしょうか。

イマケンビル ©繁田諭
―そうした考え方は千葉の文化堂ビルに携わられた時にも共通するものでしたか。

文化堂 ©繁田諭
耐震補強工事:株式会社キーマン
―先ほど「街の風景を意識する」という言葉がありましたが、山﨑さんが感じられているビンテージ物件に携わる面白さを教えてください。
まずは、いろんな制約がありながらも、工夫をしながら、すでにあるものをどう活かしていくのかを追求する面白さはすごく感じています。新築物件では図面をしっかり書いておけば、それを確認しながら工事が進んでいきますが、改修はそうはいきません。毎日のように現場からの電話が鳴ると言っても過言ではないほど、いろんなアクシデントに見舞われます。また歴史のある建物だからこそ解体した後に「そんなふうになっていたのか」みたいなこともしょっちゅう出てきて、その都度、現場での臨機応変な対応も必要にもなります。例えば、文化堂の改修であれば、階段の部分に『人研ぎ』と呼ばれる人造大理石の研ぎ出し仕上げという今の時代にはやらない工法が塗装の下に隠れていましたが、「今の時代には貴重だから塗装を剥がして残しておこう」と現場で判断することもありました。そんなふうにその都度、現場で話し合って、どうすればいいのかを考え、形にしていく工程は大変でもあり、面白さだと受け止めています。
―これからビンテージ物件を購入したいと考えている方にアドバイスがあれば教えてください。

―山﨑さんご自身は、今後、こういう物件に携わっていきたい、というような野望はありますか。
5年ほど前にヘリテージマネージャー(歴史的建造物の保存活用に関する専門知識を持つ建築士等の専門家)の講習を受けたのですが、今後は、価値のある建築をきちんと保存して活用していくための取り組みや仕事を積極的にやっていきたいと考えています。その1つとして、昨年は京都の高台寺近くにある、大正9年に建てられた近代和風建築を一棟貸しの宿泊施設に改修する仕事に携わることができました。
―大正9年は西暦1920年なので…築100年以上ですね!

HOTEL VMG VILLA KYOTO ©繁田諭
―最近は世の中の意識も、スクラップ&ビルドの時代から少しずつ脱却しつあります。
そうですね。近年は世の中の意識も変化してきましたし、直接建築に関わっていない方でも古いものに対する興味や意識の広がりを感じます。それもあって、古い建築物を後世に受け継ごうという動きが増えてきたんだと思います。今回、改修に携わった京都の近代和風建築も、本当に繊細に作られていました。もちろん、宿泊施設として利用するには変えなきゃいけないところもありましたが、守るところと新しくするところの線引きがうまくできれば、その建物に宿る建築的な価値は継承することができる。この改修では伝統工法による土壁や、数寄屋建築らしいいろんな意匠がある天井などはできる限り、そのまま使うように工夫しています。ただ、その取捨をするには、物の価値や歴史を私たち建築士自身が正しく理解する必要があり、そこは日々勉強だなと思っています。
―山﨑さんは『東京ヘリテージマネージャーの会』の代表も務められていらっしゃいますが、そうした活動の輪も広がりつつありますか?
そうですね。東京ではヘリテージマネージャーの養成講座を開催していて、毎回40人くらいの方たちが受講していますし、私たちの会も現在100名くらいの会員がいます。すでにこの分野でいろんな実績を持っている方もいれば、これから取り組んでいきたいと考えている人もいます。また、大人のクラブ活動みたいな感覚で楽しんでいる方もいます。いろんなスタンスの人が集う会になっていますが、みなさん建築に対してものすごく純粋だし、根本にある建築を大事にして『受け継ぎたい』という思いは同じなので、ここから社会に向けていろんな広がりを作っていければいいなと思っています。
ヤマサキアトリエ:https://www.atelier-yamasaki.com/
東京ヘリテージマネージャーの会:https://tokyo-hm.jp
※1 森吉直剛アトリエ合同会社 ※2 増谷高根建築研究所
インタビュー・文/高村美砂(フリーランスライター)